大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和56年(ワ)13939号 判決

原告 池谷夏子

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 平山知子

同 松井繁明

同 宮原哲朗

同 小山久子

被告 井上馨

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

一  被告は原告らに対し各金六三八万円及びこれに対する昭和五五年三月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

(一)  被告は原告らに対し各金一九一四万九二五〇円及びこれに対する昭和五五年三月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  当事者

1 原告らは亡木村はつゑ(以下「はつゑ」という。)の子である。

2 被告は、肩書住所において「井上病院(以下「被告病院」という。)を開設しており、同病院において訴外林慎医師を使用している。

(二)  診療経過

1 はつゑは昭和五五年三月一日持病の気管支喘息の発作を起こし、同日被告病院へ救急車で運ばれ即日入院して、担当医の林医師の治療を受けることとなった。

2 林医師は、はつゑが被告病院に入院するまでに長年にわたりステロイド剤を服用していたこと、及び入院当時、はつゑは夫が医師であることからその管理のもとに、ステロイド剤を減量服用中であったことを知ったにも拘らず、同日ただちにその服用をやめさせた。

3 入院時から一二日目までのはつゑの症状とそれに対する対症療薬の処置は次のとおりである。

(日時) (はつゑの症状) (処置)

三月一日 四~五日来喘息発作 ネオフィリン・アロテック

喘鳴(+) イノリン・アロテック・レスプレン

同月二日 喘息発作(+)喘鳴(+) ネオフィリン・アロテック

同月三日 喘息発作(+) アロテック・ネオフィリン

同月四日 喘息発作(+)喘鳴(+) アロテック・ネオフィリン

同月五日 喘鳴(-) アロテック

同月六日 喘鳴(+)喘息発作おこる呼吸困難軽度あり イノリン・アロテック・レスプレン

同月七日 喘鳴(-)変りなし ネオフィリン・アロテック

同月八日 点滴中発作(-)なるも二時頃より軽度発作(+)喘鳴(+) アロテック・ネオフィリン

同月九日 喘息発作 アロテック・ネオフィリン

同月一〇日 ネオフィリン1A・アロテック1A

同月一一日 喘息発作あり ネオフィリン・アロテック

同月一二日 喘鳴軽度あり ネオフィリン・デキサ

呼吸困難強度 酸素吸入開始

右のように入院時から気管支喘息の対症療薬投与を行っているが、はつゑは、三月一二日午前七時ごろから発作をおこし、デキサ(ステロイド剤)二五ミリグラムを投与されるも同日午後九時四五分ごろには更に発作がひどくなり、酸素吸入をしている。

4 翌一三日午前〇時三〇分、はつゑは再度発作をおこしデキサ二五ミリグラム混入の点滴をした。はつゑは午前四時二五分ごろ呼吸困難のため大声を出し、苦しいとあばれ、二時間後の午前六時三〇分になってもこの苦しい症状が変らず、再びデキサ二五ミリグラム混入の点滴を開始したが、午前八時二〇分時においても大声であばれる程の強度の発作症状であった。午前九時三〇分にも体動激しく苦しがっており、この時はつゑの手指にはチアノーゼがでていた。この段階で林医師が診療をおこないネオフィリンを投与した。午後一時三〇分、午後二時一〇分各二五ミリグラム、午後五時に五〇ミリグラムのデキサを投与したが、午後六時ごろからチアノーゼが両手、顔面にあらわれ、午後八時ついに死亡するに至った。

5 林医師が、はつゑの喘息発作の対症療法として一三日に行ったネオフィリンの投与は次のとおりである。

午前〇時三〇分 ネオフィリン一〇cc点滴静注

三時四〇分 同右

六時三〇分 ネオフィリン一〇ccを側管で静注

九時五〇分 ネオフィリン一〇cc点滴静注

ネオフィリン一〇cc静注

一一時五〇分 ネオフィリン一〇cc点滴静注

午後六時   ネオフィリン一〇cc静注

右のように約一九時間の間に一・七五グラム(総量)のネオフィリンを投与している。

(三)  過失

1 難治性喘息患者の治療について

(1) はつゑはステロイド依存性の難治性喘息患者であった。即ち、ステロイド剤を一定度まで減量するか、中止すると再び喘息症状の再発をみて、ステロイド剤からの離脱が困難で、満足な日常生活を営むためにはどうしてもステロイド剤の長期持続投与が必要になっていたのである。

(2) (1)に記載したような慢性型喘息患者に対しての処置として、通常次のような方法が試みられている。

① 重症発作に対してはステロイド剤の大量使用によって発作をおさめること。

② 慢性型に対しては、はじめからあるいは症状がやや増悪するごとにステロイド剤を投与し、症状を一旦ほぼ完全におさめ、以後徐徐に減量、中止する方法を繰り返す。

(3) すでに長期にわたりステロイド剤を使用しているものにあっては、本剤の急な服用中止は症状の再増悪を生じさせるので症状の再増悪なしに本剤の離脱を試みるためには、きわめて徐々に減量しなければならない。

2 重篤喘息発作の治療について

(1) 重篤喘息発作とは、チアノーゼを伴うような大発作で、生命の危険が予想される場合である。

(2) 重篤喘息発作の治療法としては、生命に対する危機回避が重要になり、ステロイド剤を投与するのが一般である。ステロイド剤には種々の副作用が知られているが、副作用を度外視して生命を守るべきである。

(3) ステロイド剤中止後、再発した発作はとくに重症で、大量のステロイド剤以外に他の治療法に反応せず、ステロイド剤の投与が遅れると死亡することもある。

3 林医師の治療の誤り

(1) はつゑが重症発作にて、被告病院に入院した時点ですでにステロイド剤を服用し、減量中であったことを知っていたにも拘らず、林医師はその服用を直に止めさせてしまっている。これは前記1(2)に記載したいずれの処置にも反しており、林医師が適切な処置を怠ったことは明白である。

(2) 入院時から一二日目までのはつゑの症状をみると、喘鳴と呼吸困難が治っていない。前記1(2)に記載したように、慢性型に対しては、はじめからあるいは症状がやや増悪するごとにステロイド剤を投与し、症状を一旦ほぼ完全におさめてしまうことからすれば、この間の対症療法の投薬が適切でなかったことは明らかである。

(3) さらに、死亡当日の三月一三日午前〇時二〇分ごろからはつゑの症状は、ふつうの治療には反応しなくなっている重篤状態であった。このような場合には、慎重かつ熱意をもった治療が必要なのにも拘らず、ただ漫然と形だけの処置をとったにすぎなかった。

一三日午前〇時三〇分及び午前六時三〇分にデキサ(ステロイド剤)を混入した点滴がなされているがこれは、原告らからはつゑの重篤症状の連絡を受けたはつゑの夫が、急拠電話で林医師にステロイド剤の投与を相談した結果、林医師の電話による指示によってなされたものである。

同日午前九時三〇分やっと林医師が来院し、同医師の診療を受けるも、この時には手指にチアノーゼがでていた。

チアノーゼを伴う大発作は生命の危険が予想され、生命に対する危機回避の治療が重要となる。そのための治療としてはステロイド剤の大量投与しかないのであるが、林医師はこの時右処置をとっていない。

同日午後一時三〇分、午後二時一〇分各二五ミリグラムのデキサ投与、同日午後五時五〇ミリグラムのデキサの投与を行っているが、この段階でのステロイド剤の投与はすでに遅くついに同日午後八時はつゑを死亡するに至らしめたものである。

(4) 同日午前三時四〇分にフェノバールを投与しているが、これはデキサメザソンの代謝を促進し、治療効果を低下させるので禁忌とされ、腎機能に大量の負担をかけるので腎機能障害のときに用いることは禁忌とされ、呼吸抑制を生じさせるので呼吸機能が低下しているときは禁忌とされている。

このように誤った治療方法がとられている。

(5) 林医師によれば、はつゑは一三日午後七時五五分ころ嘔吐し、これが致命傷となったとのことであるが、仮にそのような事実があったとしても、その原因は林医師が一三日に行なったネオフィリンの過剰投与による副作用である。ネオフィリンの使用については、その副作用を考え、成人では六時間で五〇〇ミリグラムを超えないように、一日量一・五グラム以下とするのが安全であり、二・〇グラムが極量であるのに、林医師は一三日午前〇時三〇分から午後六時までの間約一九時間に限度量を超える一・七五グラムを投与している。はつゑが嘔吐したのは、ネオフィリン剤が安全圏の一・五グラムを超えた一・七五グラムを一九時間内に投与された約二時間後である。

(四)  因果関係及び被告の責任

以上のとおりであるから、被告は林医師を雇傭しており、右林は前記過失によってはつゑを死亡させたものであるから、民法第七一五条により後記損害を賠償しなければならない。

(五)  損害

1 逸失利益

主婦の稼働能力の評価については、被害者と同年齢の産業計、企業規模計の全国性別、学歴別、年齢階級別平均給与額表によるのが通例とされている。

はつゑは大正一四年七月二日生れで死亡当時五四歳であった。一般に労働稼働年齢は六七歳迄認められているので、はつゑが本件医療過誤で死亡しなければ、一三年間就労して、収入をあげることができたものと認められる。

賃金センサス昭和五五年第一巻第一表昭和五五年女子労働者の企業規模計、学歴計、五四歳の年額平均賃金によれば、二〇一万五八〇〇円である。

そこで一時支払額を求める。

就労の終期(六七歳)までの年数一三年間に対応するホフマン係数は、九・八二一であるから、以上により算出したはつゑの逸失利益喪失現価格は、約一九七九万七〇〇〇円である。

収入より控除すべき必要経費としては、収入の五割を上廻ることは考えられないから、その生活費の必要経費を控除すると、逸失利益は九八九万八五〇〇円である。

2 はつゑの慰謝料

はつゑの入院期間中の苦しみは、筆舌につくし難いものであり、入院後死亡するまでの一三日間、発作の苦しみは、一向に治まらず、苦しみ通して死亡するに至ったといってもよい。

さらに残酷なのは、死亡当日のはつゑの症状は重篤状態であったにも拘らず、慎重かつ熱心な治療が一三時間半に亘ってなされなかったことである。

医師は患者の苦しみを適切な処置によりできるだけ早く軽減すべきであるにも拘らず、被告はただ漫然と治療を行い、慎重かつ熱心な治療を行っていない。

以上からみてはつゑの死亡による慰謝料は少なく見積もっても金一五〇〇万円を下らない。

3 原告らの慰謝料

医療機関によって母の命を奪われた原告らの悲痛は察するにあまりあるものであり、これを慰謝するには少なくとも各金五〇〇万円を下らない。

4 はつゑの相続人は夫茂、長女夏子、長男眞哉であるが、はつゑの相続財産である慰謝料及び逸失利益を、どのような割合で相続するかについては、いまだ協議中なので、夫茂の権利分については原告ら二名が共有財産の保存行為として本訴を提起するものである。

5 原告らは本件訴訟を原告ら代理人に委任するにあたり、請求額の約一割をそれぞれ手数料並びに報酬として支払うことを約束した。その結果原告らは各一七〇万円の支払義務を負う。

(六)  結語

よって、原告らは被告に対し、各自金一九一四万九二五〇円及びこれに対するはつゑ死亡の日である昭和五五年三月一三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の事実(当事者)は認める。

(二)  同(二)の事実(診療経過)は認める。

(三)1  同(三)の1の事実(難治性喘息患者の治療について)中、(2)の事実は認め、(1)の事実は不知、(3)の事実は否認する。

2 同(三)の2の事実(重篤喘息発作の治療について)中、(1)の事実及び(2)のうち重篤喘息発作の治療法としては、生命に対する危機回避が重要になり、ステロイド剤を投与するのが一般であるとの事実は認め、その余の事実は否認する。

3(1) 同(三)の3(林医師の治療の誤り)の(1)(ステロイド服用中止の誤り)の事実中、はつゑが入院時すでにステロイド剤を服用し、減量中であったことを知りつつ林医師がその服用を直ちに止めさせてしまったとの事実を認め、その余の事実は否認する。林医師は、はつゑの使用ステロイド剤がプレドニン五ミリグラム程度なので、これを中止してもショックに至るとか主導的症状が生ずるという程度のものではないと判断し、他の喘息治療薬を使用することとしたものである。またはつゑは、長期間にわたる安易なステロイド剤の服用により、その副作用としての副腎皮質機能不全を起こしており、ステロイド剤を投与しても気管支にほとんど効果がない状態であったと思われる。

(2) 同(三)の3の(2)(ステロイド剤投与の過怠)の事実は否認する。はつゑが入院した三月一日から一一日までは同患者のぜんそく発作はおおむね軽度であって、ステロイド剤以外の他のぜんそく治療薬で改善されており、決して増悪してはいない。

(3) 同(三)の3の(3)(ステロイド剤大量投与の懈怠)の事実中、林医師がはつゑの夫と相談したうえで三月一三日午前〇時三〇分及び午前六時三〇分にデキサを混入した点滴をなしている事実、林医師の来院時はつゑの手指にチアノーゼが出ていた事実、同日午後一時三〇分、午後二時一〇分各二五ミリグラムのデキサ投与、午後五時五〇ミリグラムの投与がなされている事実及びはつゑが同日午後八時死亡した事実は認め、その余の事実は否認する。

(4) 同(三)の3の(4)(フェノバール投与の誤り)の事実は否認する。

(5) 同(三)の3の(5)(ネオフィリンの過剰投与)の事実は否認する。アミノフィリン投与量は一日量一・五ないし二グラムまでであり、本件の使用は一・七五グラムであるので問題はない。まして二〇パーセントブドウ糖あるいはラクトリンゲル五〇〇ミリリットルにとかして使用しているもので、全く問題はない。はつゑが嘔吐したのはプレドニンの副作用の胃腸障害と横隔膜の痙攣のためである。

(四)  同(四)の事実(因果関係と被告の責任)は否認する。

(五)  同(五)の事実(損害)は知らない。

原告らの主張するように、はつゑがステロイド依存の重症の難治性喘息患者であるとすれば、余命はわずかであり、また、稼働能力はない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因(一)の事実(当事者)は当事者間に争いがない。

二  そこでまず、はつゑの病歴及び被告病院での診療の経過について検討する。

請求原因(二)の事実(診療経過)、はつゑが入院時すでにステロイド剤を服用し減量中であったことを知りつつ林医師がその服用を止めさせてしまった事実、林医師がはつゑの夫と相談したうえで三月一三日午前〇時三〇分及び午前六時三〇分にデキサを混入した点滴をなしている事実、同日朝林医師の来院時はつゑの手指にチアノーゼが出ていた事実、同日午後一時三〇分、午後二時一〇分各二五ミリグラムのデキサ投与、午後五時五〇ミリグラムの投与がなされている事実及びはつゑが同日午後八時死亡した事実、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に《証拠省略》を総合すれば、はつゑの診療の経過について以下の事実を認めることができる。

1  はつゑは、昭和四三年秋ころ風邪をひいて気管支喘息を発病し、青森県の三沢病院において毎月一回ステロイド剤であるケナコルトA四〇ミリグラムの投与を受けた。

2  昭和四七年東京の北原アレルギー研究所で精密検査を受け、ケナコルトAなどのステロイド剤を投与された。

3  昭和四八年九月から昭和五四年八月までの間はつゑは、青森県三沢市所在の小鹿病院において気管支喘息の治療を受け、この間何度か発作を起こして、昭和五二年三月、同年四月、昭和五三年一〇月の三回にわたり同病院に入院している。右診療期間中はつゑは、一か月ないし半月に一度程度の割合でケナコルトAの投与を受けたほか、発作時にステロイド剤であるプレドニンやデカドロンを相当量投与され、そうでない時も一日五ミリグラムのプレドニンを恒常的に服用していた。

4  昭和五四年八月末から昭和五五年二月にかけてはつゑは、東京都町田市所在の訴外中山博夫医師のもとで診療を受けてデキサメタゾンやプレドニンの投与を受け、その後も一日五ミリグラムのプレドニンを維持量として服用していた。

5  昭和五五年三月一日朝はつゑは強度の喘息発作を起こし被告病院に救急車で搬送されたうえ入院した。その際のはつゑの状態は、呼吸困難(+)、顔面及び上肢の末端にチアノーゼ(+)、喘鳴(+)、顔面瘡白で会話の不能な状態であった。被告病院においてはつゑの診療にあたることとなった林医師は、はつゑに対して一般喘息薬であるネオフィリン一アンプルを混入した点滴を施行し、交感神経刺激剤であるアロテックを筋注した。同日午後になるとはつゑの症状は若干軽快し、会話が可能な状態となった。このころ林医師は、はつゑがステロイド剤であるプレドニン五ミリグラムを長年にわたり維持量として服用していることを知ったか、林医師としてはこれを中止させて一般喘息薬で治療する方針をとり、内服薬として交感神経刺激剤であるイノリン、アロテック等を毎食後六日分処方し、更に一般喘息薬であるアストセダンを筋注している。

6  同月二日はつゑには喘息発作があり、多少のチアノーゼが見られ、気管支に雑音が聴取できるという状態であったので、林医師は、前記同様ネオフィリンの点滴を行なうほか、発作時にネオフィリン静注、アロテック筋注を施行した。

7  同月三日早朝の午前三時三〇分ころはつゑは喘息発作をおこしたので、その際にネオフィリンが静注されたほか、前記同様のネオフィリン点滴及びアロテック筋注が施行された。

8  同月四日午前五時四五分ころに喘息発作があり、ネオフィリンが投与されている。また前同様ネオフィリン点滴及びアロテック筋注が施行されている。

9  同月五日は比較的平穏に推移し、ネオフィリンの点滴及びアロテック筋注がなされた。

10  同月六日はつゑは、呼吸雑音は聴取されるものの比較的平穏な状態で、ネオフィリン点滴及びアロテック筋注が施行され、アロテック、イノリン、レスプレン等の内服薬が毎食後七日分処方された。同日午後七時三〇分ころ喘息発作が発来したのでネオフィリンを静注したところ鎮静した。

11  同月七日は比較的平穏に推移したが、この日もネオフィリンの点滴及びアロテックの筋注が施行された。

12  同月八日も前記同様ネオフィリン及びアロテックが投与されたが、午後七時二〇分ころ喘息発作があり、ネオフィリン静注が実施された。

13  同月九日もネオフィリン点滴及びアロテック筋注が行なわれたが、午後三時四〇分ころ喘息発作が起きたので、ネオフィリンが投与された。

14  同月一〇日午前四時五〇分喘息発作が発来し、ネオフィリンが投与されている。その他、前同様ネオフィリン点滴及びアロテック筋注が実施されている。

15  同月一一日午前九時三〇分ころ喘息発作が起こり、ネオフィリンが投与されたほか、アロテック筋注がなされている。

16  同月一二日朝はつゑには軽度の喘鳴と呼吸困難があり、ネオフィリン一〇ミリリットルを混じた点滴が施行された。午後六時四五分ころ喘息発作が発来したので、ネオフィリン一〇ミリリットル及び鎮咳去たん剤のフストジールが投与された。午後九時四五分ころ強度の喘息発作が起こり、ネオフィリン一〇ミリリットルが投与され、あわせて酸素吸入が開始された。同日深夜ころはつゑは強度の発作で苦しがって暴れるという状態であったので、これに付添っていた原告木村眞哉から連絡を受けた青森県在住の医師である訴外木村茂が、林医師に対し、電話ではつゑにステロイド剤を投与してくれるよう要望したところ、林医師もこれに応じて右投与を決意し、同月一三日午前〇時三〇分ころ同医師から電話による指示を受けた看護婦によりステロイド剤であるデキサメタゾン二五ミリグラム及びネオフィリン一〇ミリリットル等を混じた点滴が実施された。

17  同月一三日午前三時四〇分ころになっても発作は消失せず、ネオフィリン一〇ミリリットルの静注及び鎮静剤の一〇パーセントフェノバール一アンプル筋注がなされた。午前四時二五分ころはつゑは、大声を出して苦しいと暴れている状態であったので、ゼノールが胸部及び背部に貼付された。午前六時三〇分ころもはつゑは大声で暴れており、デキサメタゾン二五ミリグラム及びネオフィリン一〇ミリリットルを混じた点滴が実施された。更に午前八時二〇分ころ鎮静剤であるホリゾン一〇ミリリットルを混じた点滴がなされている。

同日午前九時三〇分ころ、はつゑは体動が激しく、その手指にはチアノーゼが現われており、午前九時五〇分ころネオフィリン一〇ミリリットルを混じた点滴がなされている。また同じころ林医師がはつゑを診察したところ、完全に喘息発作状態にあり、呼吸雑音と気管支ラ音が著明に聞こえるという状態であったので、同医師は更にネオフィリン一〇ミリリットル及び強心剤のビタカンファー一アンプルを投与した。午前一〇時ころも呼吸困難はかわらず、アストセダン等が投与されたほか、ネオフィリン一アンプルを混じた点滴が施行され、酸素吸入も行なわれている。

同日午後になってもはつゑの喘息発作は緩和せず、呼吸困難も同様にかわらない状態であり、そのころ被告病院に来院したはつゑの夫と林医師が相談した結果、午後一時三〇分にデキサメタゾン二五ミリグラム、午後二時ころにデキサメタゾン二五ミリグラムがそれぞれ投与された。

その後も酸素吸入が続けられたが、同日午後五時一〇分ころ喘鳴があり、両手にチアノーゼがあるという状態であったので、林医師の指示によりデキサメタゾン五〇ミリグラム等の静注が実施された。更に午後六時ころにはネオフィリン一〇ミリリットルが投与され、午後七時にはビタカンファー等が静注されている。この間もはつゑは喘鳴及び呼吸困難があり、両手にチアノーゼがあるという状態が続いている。

同日午後七時五五分ころはつゑは嘔吐をし、胆汁等で呼吸困難な状態となり、顔面、両手、両足等にチアノーゼが現われるという状態になったので、ジギラノーゲンC一アンプル投与、心臓マッサージ等が施行されたが、午後八時はつゑは死亡するに至った。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》。

三  右認定の事実を前提として、林医師の診療の適否について検討する。

1  林医師がステロイド剤を投与しない方針をとりこれを三月一二日まで継続した措置の適否について

請求原因(三)の1の(2)の事実(慢性型喘息患者に対する処置)、同(三)の2の(1)の事実(重篤喘息発作の意義)、同(三)の2の(2)のうち重篤喘息発作の治療法としては生命に対する危機回避が重要になりステロイド剤を投与するのが一般であるとの事実、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に《証拠省略》によれば、気管支喘息に対する治療としては個々の発作を治めるための対症療法と病因自体の除去を目的とする根治療法とがあること、対症療法は発作の程度によって異なり、呼吸困難は軽度で日常生活に支障のない軽発作の際はアドレナリン・イノリン・アロテック等の交感神経刺激剤及びネオフィリン等のテオフィリン剤の投与を行ない、呼吸困難がやや強く日常生活に支障のある中発作の際も軽発作の場合と同様に交感神経刺激剤及びテオフィリン剤の投与を行なうがそれで症状が改善されない場合はステロイド剤を投与し、呼吸困難が強度で日常生活不能の大発作の際には酸素吸入、大量の補液、テオフィリン剤及びステロイド剤の投与をなすべきものとされていること、ステロイド剤はその強力な抗炎症作用等により気管支喘息に対して顕著な効果を有することが知られているが、下垂体抑制による副腎機能低下等の副作用が存することから、小発作及び中発作においては原則として用いるべきではなく、大発作の場合、中発作以上の発作が二四時間以上持続する発作重積状態にある場合、一般喘息薬に不応の慢性発作持続状態にある場合、ステロイド依存性の難治性喘息患者である場合に投与すべきものとされていること、これらの場合でも前記副作用を考慮し、最初からヒドロコルチゾンやプレドニゾロン等の速効性のステロイド剤の十分量を投与し、発作が消失した時点ですみやかに減量ないし中止をすべきものとされていること、一方喘息患者の中には通常の治療で改善されずステロイド剤を用いなければ日常生活ができない重症・通年性の気管支喘息として定義される難治性喘息患者がおり、これらの患者に対しては根治療法、補液、抗生剤や抗アレルギー剤の投与等のほか、ステロイド剤の投与が必要とされていること、難治性喘息患者にあってもステロイド剤の副作用を考慮してステロイド剤からの離脱をはかる必要があるが、ステロイド剤長期投与者について突然ステロイド剤を中止すると中止後七ないし一〇日目ごろに重篤な発作をみることがあること(リバウンド現象)から、それを避けるため厳重な監視の下で極めて除々に減量する必要があり、場合によってはその離脱に数年を要したりあるいは比較的少量のステロイド剤を維持量として長期間服用せざるをえない場合があること、以上の事実が認められこれに反する証拠はない。

また、鑑定の結果によれば、はつゑの三月一日入院時の喘息発作の強度は、前記二の5に認定した事実からみて救急治療を要する大発作と判定されること、また前記二の1ないし4に認定したところからはつゑは右入院当時ステロイド依存性の難治性喘息患者であること、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

以上の事実及び知見により検討するのに、はつゑは入院時救急治療を要する大発作の状態にあったというのであるから、その治療にあたる医師としては、補液やテオフィリン剤投与とともにステロイド剤を投与して発作の寛解に努めるべきであったのに、林医師ははつゑの発作を中発作にすぎないものと軽信して交感神経刺激剤やテオフィリン剤等の一般喘息薬の投与しかしていないのであって、この点についての林医師の処置は不適切のそしりを免れないものというべきである。更に、右入院時はつゑはステロイド依存性の難治性喘息患者であったというのであるから、その治療にあたる医師としては、はつゑのステロイド剤使用歴等について調査し、ひとまずステロイド剤により発作を治めたうえで、慎重かつ緩徐にその減量をはかるべきであったのに、林医師は、はつゑが入院時までプレドニン五ミリグラムを長年にわたり維持量として服用していた事実を知りつつ、その突然の中止により生じうる重篤な喘息発作発来の可能性について何らの考慮も払うことなく、直ちにその服用を中止させ、三月一二日まで一般喘息薬のみによる治療をしたというのであり、この点についての林医師の処置が不適当なものであることは明らかである。結局、入院時大発作の状態にある難治性喘息患者であったはつゑに対し、突然ステロイド剤投与を中止し三月一二日までこれを継続した林医師の処置は、極めて不適切であって、過失ある診療行為といわざるをえない。

2  三月一三日のステロイド剤投与法について

原告は、林医師のはつゑに対するステロイド剤投与の不十分ないし遅延を論難する。しかしながら、前記認定のとおり、三月一二日午後九時四五分ころはつゑに強度の喘息発作が発来し、これに対して林医師は同月一三日午前〇時三〇分ころデキサメタゾン二五ミリグラム、午前六時三〇分ころ同二五ミリグラム、午後一時三〇分ころ同二五ミリグラム、午後二時ころ同二五ミリグラム、午後五時ころ同五〇ミリグラム以上合計一五〇ミリグラムのデキサメタゾンを投与しているところ、鑑定の結果によれば、三月一二日夜以降のはつゑは典型的な最重症発作の症状を示していること、このような患者に対しては当然ステロイド剤を投与すべきであること、当夜の林医師のステロイド剤であるデキサメタゾンの投与量一五〇ミリグラム(ヒドロコルチゾン換算一五〇〇ミリグラム相当)は一応十分な量と認められること、以上のとおり判定されるのであるから、この点についての林医師の処置は、三月一三日についてみる限りは、不十分なものとも遅延したものとも認め難く、原告の主張は理由がない。

3  フェノバール投与の適否について

林医師は、三月一三日午前三時四〇分ころ一〇パーセントフェノバール一アンプルをはつゑに対し投与しているが、《証拠省略》によれば、フェノバールには呼吸抑制作用があり、デキサメタゾンの代謝を促進してもその治療効果を低下させることがあるものとされていること、発作重積状態の患者に対するバルビタールなどの鎮静剤の投与は禁忌とされていること、以上の事実が認められ、右事実は原告の主張に副うものということができる。従って、林医師による右フェノバールの投与を不適切なものとする余地がないとはいえない。しかしながら、仮にこれを同医師の過失と評価しうるとしても、はつゑが死亡したのは右投与の一六時間以上後のことであり、しかも《証拠省略》にはフェノバールビタールとコルチコステロイドとの相互作用は大量のフェノバールを長期間用いたときにみられるとの記載もあるのであって、右事実によれば、林医師によるフェノバールの投与とはつゑ死亡との間には因果関係を認めがたいものといわざるをえない。

4  ネオフィリン投与の適否について

《証拠省略》によれば、林医師がはつゑに投与したネオフィリンとはテオフィリン剤を約八〇パーセント含有するアミノフィリンという薬剤の商品名であること、テオフィリン剤は気管支及び血管拡張作用を有し、アドレナリン等の交感神経刺激剤の奏効しない中等度ないし重症の喘息発作にしばしば著効を示すことが知られていること、しかしながら、テオフィリンを急速に静注した場合や過量に投与した場合にはめまい、頭痛、心悸亢進、悪心、嘔吐、血圧下降等の副作用を生じ、まれに死亡例も報告されていること、テオフィリンの効果及び副作用とその血中濃度との間には相関関係があり、その有効血中濃度は概ね血液一ミリリットル中一〇ないし二〇マイクログラムであり、二〇マイクログラムを超えると前記副作用が出現してくるものとされていること、しかしながら現在のところ右血中濃度測定設置を有しない施設が大半であるので、この場合には急速静注を避け、ブドウ糖液などに混じて五ないし一〇分かけて緩徐に静注するようにし、投与量については、成人に対してアミノフィリン量にして一日一・五ないし二グラム以内に留めるべきものとされていること、以上の事実を認めることができこれに反する証拠はない。

そこで検討するのに、テオフィリンには前記のとおりの副作用が存するというのであるから、その使用にあたる医師としては、急速静注を避け、投与量を許容範囲内に留めるべき注意義務を負っているものというべきである。しかるに、林医師は、ネオフィリン一〇ミリリットル中のアミノフィリン量を二五〇ミリグラムとすると(《証拠省略》によりこれを認める。)、前記二の16ないし17に認定したとおり、昭和五五年三月一二日午後六時から同月一三日午後六時までの二四時間に二・二五グラム、三月一三日午前〇時から午後六時までの一八時間でみると一・七五グラム、同日午前〇時から午後〇時までの一二時間でみると一・五グラムを投与していることになるのであって、右投与量は前記鑑定の結果によれば明らかに許容限度を超えたものというべく、従ってこの点についての林医師の処置は過失ある診療行為であるものといわざるをえない。

四  因果関係

次いで、林医師の過失ある診療行為とはつゑの死亡との間の因果関係の存否について検討するのに、《証拠省略》によれば、はつゑの死因については剖検がなされていないのでこれを確定することができないこと、しかしながら気管支喘息による死亡例についての報告によるとその過半数は、窒息死であり、その剖検例には気管支内腔の著しい狭窄、気管支内腔への粘液栓充満等の特徴的所見が見られること、またはつゑの如き難治性喘息患者は死亡率が高く、死因としても窒息死が多いとの報告があること、本件の如くステロイド療法中止後あまり日のたたないうちに再発した発作は特に重症で、テオフィリンやステロイド剤すらも無効の場合があること、はつゑは死亡直前に嘔吐しているが、嘔吐物誤飲による死亡ならば死亡まで若干更に苦しむはずであるのに、はつゑの場合嘔吐と殆ど同時に心停止があったものと認められること(《証拠省略》によりこれを認める。)から、嘔吐物誤飲による死亡の可能性は比較的少ないものと考えられること、以上の事実が認められ、これに反する証拠はないのであって、これに前記認定のはつゑが三月一二日夜から二四時間以上持続した最重症喘息発作(発作重積状態)の後に死亡したとの事情をあわせ考慮するならば、鑑定結果のいう如くはつゑが重症喘息発作による気管支粘液充満により窒息死した相当高度の蓋然性が存するものというべきであり、そしてその原因となった最重症喘息発作は、前記三の1に認定したところから、林医師による突然のステロイド剤投与中止措置により惹起されたものと認めるのが相当である。更に検討するのに、鑑定の結果によれば、本件においては前記三の4に認定したとおりネオフィリンの過剰投与がなされており、嘔吐などのネオフィリン中毒症状と考えられるものが発現していること、前記のとおり、嘔吐とともに突然の心停止をきたしていること、以上の事実から、はつゑがネオフィリン過量投与による中毒の結果死亡した可能性も否定することができないものと認められる。以上のほか、はつゑの死亡の原因となりうるような事情は見出せない。

以上を要するに、はつゑは、ステロイド剤投与の突然の中止の結果生じた重症発作重積状態下での窒息、もしくはネオフィリン過剰投与の結果生じた中毒のいずれかにより死亡したものと認められるところ、そのいずれも林医師の過失ある診療行為により生じたものと認むべきことは前記説示のとおりであるから、右診療行為とはつゑの死亡との間には因果関係を認めることができる。

五  被告の責任

被告が被告病院において林医師を使用していた事実及び林医師のはつゑに対する診療行為が被告の事業の執行としてなされた事実はいずれも当事者間に争いがないから、林医師の過失ある診療行為の結果原告らが受けた損害について、被告は賠償義務を負うものというべきである。

六  そこで損害額について検討する。

1  《証拠省略》によれば、はつゑは大正一四年七月二日生れであるから死亡当時五四歳であったことが認められる。弁論の全趣旨によれば、はつゑの死亡当時労働稼働年齢は六七歳まで認められていたが、鑑定の結果によれば難治性喘息患者であった場合はこれより短いことが認められ、はつゑについては諸般の事情を考慮し稼働年数を一〇年間とみるのが相当であること、賃金センサス昭和五五年第一巻第一表昭和五五年女子労働者の企業規模計、学歴計、五四歳の年額平均賃金が二〇一万五八〇〇円であること、一〇年のライプニッツ係数が七・七二一七であること、生活費として収入の五割を控除するのが相当であることが認められるから、逸失利益を計算すると、

二〇一万五八〇〇円×〇・五×七・七二一七=七七八万二七〇一円

となるが、さらにはつゑが重症かつ難治性喘息患者であり本件以前から喘息発作により入退院をくりかえしていることを考慮し、その約半額に減額するのが相当であるから、逸失利益は金三九〇万円となる。ところではつゑの相続人は原告らの他に夫があることが認められるから原告らの相続分は各三分の一であり、各金一三〇万円となる。原告らは共有財産の保存行為として本訴を提起したと主張するが、損害賠償請求権の如き金銭債権については法律上当然に分割され、各相続人がその相続分に応じて権利を承継するものと解されるから、原告らの主張は採用しない。

2  慰謝料について検討する。はつゑの年齢、入院後の状況その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すればはつゑの死亡慰謝料は金一二〇〇万円と認めるのが相当であるから、原告らは各三分の一である金四〇〇万円を相続したものというべく、原告ら固有の慰謝料は各金五〇万円が相当である。

3  そうすると、原告らは各金五八〇万円の損害賠償請求権を有するところ、弁護士費用としてその一割を加算すべく、原告らは各金六三八万円の損害賠償請求権を有することになる。

七  以上によれば、被告は民法七一五条に基づき原告らに対し各金六三八万円及びこれに対するはつゑ死亡の日である昭和五五年三月一三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべく、原告らの請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村重慶一 裁判官 藤下健 裁判官木下徹信は、転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 村重慶一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例